別れを、笑って送り出せるか。───藤井風「さよならべいべ」と、カッコ悪くていい話。

楽曲レビュー

 

藤井風を語るとき、少し緊張する。
うまく言葉にできるか、という不安ではなく、この人の音楽が持っている重力みたいなものに、こちらがどこまで近づいていいのか、そういう感覚に近い。
人生何周目なんだろう、と思わせる落ち着きと遊び心が共存していて、正面から向き合おうとするたびに、なんとなく足がすくむ。



「さよならべいべ」は、そんな藤井風の1stアルバム『HELP EVER HURT NEVER』に収録された一曲だ。
本人の言葉を借りれば「リアルな上京ソング」。
岡山から東京へ。マネージャーの「上京するときの気持ちを歌にしておいた方がいい」という一言に背中を押されて生まれた曲らしい。

そのエピソードを知ってから聴くと、この曲の言葉の質感が少し変わる。
まず、方言だ。
「わしかてずっと一緒におりたかったわ」「じゃんか」「じゃったな」。
標準語に直そうとすると、どこかするりと逃げていく感情がある。
岡山弁のままだからこそ、その言葉はリアルで、生々しく、体温を持っている。
上京という経験を持つ人なら、それぞれの方言でこの歌詞を重ねて聴くかもしれない。
でもそうでなくても、この訛りのなかに宿った「本音」は、ちゃんと届いてくる。

そして、言葉の選び方がいちいち独特だ。
「時間が冷たい」という感覚。
時間の速さや残酷さを表現するとき、普通は別の言葉を選ぶだろう。でも「冷たかったかな」という問いかけの形で出てきた瞬間、なんとなくわかってしまう。
来てほしくなかった時間が、静かに、確実にやってきたときの感触。
それを「冷たい」と言える人が、この曲を書いている。
「扉を叩き割った」という表現も同じだ。
開けるでも蹴破るでもなく、叩き割る。
そこには、後ろを振り返らないための暴力性と、それでも震えている手が、同時に見える気がする。
この曲のすごいところは、強がっていることを隠していないところだと思う。

涙は見せない、笑って手を振る、と言いながら、「今 誰も見とらんから少しくらいええかな」と漏らす。
カッコよくなろうとして、最後までカッコ悪い。
でもその「カッコ悪さ」を、この曲は肯定している。というより、そのカッコ悪さこそが愛の言葉だ、と言い切っている。

別れを美しく歌うことは難しくない。
でも、ぐちゃぐちゃのまま歌うことは、もっと難しい。
藤井風は、その難しい方を選んだ。
そしてそれが、岡山の訛りのまま、ちゃんと音楽になっている。
聴き終わったあと、しばらく言葉が出なかった。

出会いの春、こんな曲のレビューを書いていることに申し訳なく思うが
自分にも、笑って手を振れなかった別れがあったな、とこの曲を聴きながらぼんやり思い出してしまった。

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